甲府地方裁判所 昭和23年(タ)8号 判決
原告 窪田秀六
被告 窪田初音
一、主 文
原告と被告とを離婚する。
訴訟費用は被告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。
「原告は昭和十二年五月一日叔父塩島喜一の媒酌により、原告の兄窪田秀作の妻花子の妹である被告と結婚式を挙げ、爾來本籍地の右兄秀作方において同棲し、昭和十三年十月三十一日に至つて婚姻届出を了した。これは兄秀作には子がなかつたので、原告等をいわゆる準養子として窪田家を継がせるためであつて、結婚当初は原被告間の仲もよく、兄夫婦との折合も良かつた。ところが、日が経つに從つて被告に我儘なふるまいが多く且つ被告の性質も強情で、些細のことから原告や兄秀作と衝突するようになつたが、原告は我慢して事なきを得た。そのうち原告は昭和十五年九月十五日應召し、昭和二十年八月二十三日復員帰宅し、被告との仲が円満にゆくものと期待していたところ、被告は原告應召中生來の粗暴の度を加え、兄秀作と口論しつづけてきたばかりでなく、原告帰宅後においても依然として些細のことから暴言を吐き、原告として婚姻を継続することのできないようなことが次々に起つた。即ち
(一)昭和二十年十二月二十日頃、原告が被告に対し、稲取入れのことで注意すると、被告は抗言の果原告に牛飼桶を投げつける暴挙に出で、
(二)昭和二十一年十月二日頃原告の亡兄窪田善則(昭和二十年十二月二十八日シベリヤで戰病死)の妻常代が三兒と共に満洲国安東から引き揚げて來て、原告方に同居することになつたが、被告はこれに対し何等の同情も示さず、昭和二十二年一月初頃右常代が被告の脱脂綿を使用したという原因で口論し、同女をして二兒を残して甲府市に轉居するの止むなきに至らしめたのであるが、同年二月十三日頃引揚者用の毛布三枚が配給されたので、原告はこれを前記常代の子供に着せるように話したところ、被告は着せる必要はないと反対し遂には原告を殴打する等の暴行をし、
(三)更に翌十四日朝被告は原告の就寝中その首に牛專用のロープを捲きつけ引張る等の暴行をした。
(四)そのような被告の暴行に堪えかねて、原告は兄秀作方を立ち去り同年五月十三日姉の夫の甲府市代官町六十四番地佐野逸平方に身を寄せたが、被告はその寄寓先であつた右佐野逸平方又原告が同市若松町三十九番地に居を構えるようになつてからは右原告の居宅に來て、大声で原告を罵り、原告の人格や社会的体面を傷けて顧みず、このような行爲を同年十二月迄数回に亘つて行つたものである。
このように原被告の婚姻を継続し難い重大な事由があるので、原告は被告を相手として当時の甲府家事審判所に離婚の調停を申し立てたが、被告は頑としてこれに應じないため、原告は右申立を取り下げるのやむなきに至つた。そこでここに裁判上原被告の離婚を求めるため本訴に及んだものである。」
なお被告の主張した事実に対し、「原告は被告と離婚の外はないことを決意し、親族の塩島利一等に打ち明けたところ、同人等もこれを了承した。そこで同人等のすすめもあつて、予ねて知り合つていた依田八千代と昭和二十三年五月十五日から現住所で同棲し、既に両者の間に一兒を儲け円満な生活を営んでいる。原被告間の婚姻生活がその責任の帰属はいかにもあれ、現実に破綻に終つていることは何人も認めるところで、右事実は婚姻を継続し難い重大な事由として、離婚原因となり得るものである。」と附陳した。<立証省略>
被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、その答弁として次のとおり述べた。
「被告は、原告主張の日時に原告と結婚式を挙げ、婚姻届出をしたこと、原告がその主張のように應召、復員したこと、原告と被告との間が不和で現在別居していること並びに調停の申立及び取下の事実は認めるがその余の事実は否認する。即ち被告は兄秀作と衝突したことはなく、その折合も少しも悪いことはない。却つて原告と秀作とは不和の間柄であつて、その不和の原因は、元來原告は性格が我儘で遊蕩を事とし、常に酒色に耽り、料理店等に遊興費の借財をして兄秀作や被告の実兄依田国光にその支拂いをさせたことが度重なり、その都度意見をされても反抗するばかりで、一向改まらないばかりか、遂には他人の自轉車や親戚の売溜金を竊取して警察署等で取調を受けたこともあり、更に復員後間もなく被告の亡弟享の妻依田八千代と醜関係を生じ、同女と同棲生活をするため家屋建築資金として秀作の家具食糧等を持ち出すなど全く素行が修まらぬためであり、又原告が甲府市に別居したのも、秀作が原告の所行に我慢することができなくなり兄弟の縁切をしたことによるものである。原告と被告との不和の原因は、原告が依田八千代と密通するに至つたからであり、たとえ被告が多少原告に暴言を吐いたとしても、それは眞に夫を愛する妻として当然のことで、人道上からも法律上からも少しも咎めらるべきことではない。原告と被告との婚姻生活が現在破綻に瀕していることは爭わないがそれは前記のように專ら原告の責に帰すべき事由に基くものであつて、原告自らその責に帰すべき事由を原因として裁判上の離婚を求めることは失当である。なお被告としては原告との婚姻生活を継続する希望を全然すてたものでなく、原告が被告のもとに復帰するならば、これを迎えて円満な家庭生活を営むについて十分な用意がある。」<立証省略>
三、理 由
原告と被告とが昭和十三年十月三十一日婚姻届出をした夫婦であることは、眞正の成立を認むべき甲第一号証の戸籍謄本により明らかであつて、証人塩島嘉一、同米山仙三郎、同依田八千代、同塩島利一、同佐野逸平及び原告本人の各供述並びに証人窪田秀作、同依田国光、同深沢一作及び被告本人の各供述の一部を綜合すれば、次のような事実を認定することができる。
原告長兄窪田秀作は妻花子との間に子供がないため、弟である原告をいわゆる準養子として後を嗣かせようとの考えのもとに原告等の叔父である塩原嘉一等のすすめもあり、同人の媒酌によつて、昭和十二年五月一日原告と右秀作の妻花子の妹である被告とを婚姻させるべく、結婚式を挙げさせたもので、爾來原告及び被告は本籍地の兄秀作方において同棲を続け前記のように婚姻の届出もした。而うして、その間原告は昭和十五年九月十五日召集により南方に出征し被告は右秀作方に止まつてその家業である農事を手傳つていたが、昭和二十年八月二十三日原告は復員して、右秀作方に帰宅した。被告は男勝りの働き者で義兄秀作方の農業を手傳うに当つても寧ろ率先してこれに從事し、その点については秀作等も大いに多としているのであるが、その反面において勝気に過ぎて、女らしい優しさに乏しく、義兄秀作や実の姉の花子さえ從來その粗暴に惱まされて居り原告の姉の夫である米山仙三郎や佐野逸平の一家、又原告の母方の叔父である塩島利一なども被告の冷遇に堪えかね、或いはその態度を不満とし、被告がいるがために秀作方とも疎遠となつている状態である。從つて被告は亦原告に対しても妻としての心づかいに欠けるところがあり、しばしば原告と口論をし、時にはつかみあいをするなど原告に対して乱暴な行動に出ることがあつた。就中、
(一)これよりさき、シベリヤで病死した原告の次兄善則の妻常代が三人の子供を連れて、満洲国安東から引き揚げて來て、秀作方に身を寄せていたが、被告はこれに対して毫も同情を示さず、常代は被告と口論の結果、男子二人を残して別居することになつたあと昭和二十二年二月十三日頃、引揚者用の毛布の配給があつたので秀作や原告はこれを常代の子供に着せるよう主張したのに対し、被告はその必要がないとて強硬に反対し昂奮の末原告を殴打、翌十四日朝に至るまで、繰り返して騷ぎ立て、且つ暴行を加え、原告をして一時家出するのやむなきに至らしめたことがある。
(二)このように被告の原告や兄秀作に対する暴行が度重なるので、同月二十三日頃、原告家の親族が寄り合つて被告を実家に連れ戻すことに一決し、被告は数日実家である南巨摩郡鰍沢町の依田国光方に帰つていたが、間もなく秀作方に立ち戻つて來て、秀作もそのまま被告を家に入れてしまつた。爾來原被告はほとんど夫婦らしい生活をせず、原告は轉々として親族の間を泊り歩くという状態であつたが、兄秀作との間の疎隔も原因となつて同年五月十三日ついに秀作方を出で、約半年を甲府市代官町の姉の夫佐野逸平方で過してから、同年十月に至り同市若松町三十九番地に新居を構えることになつた。しかるに被告は同年十二月中右原告方を訪れ、戸外から大声で原告の惡口を言い、原告を侮辱したこともある。なお原告は昭和二十三年五月十五日頃から同所において依田八千代と事実上の夫婦生活を送つているが、右依田八千代と云うのは、被告の弟享の妻で、夫享戰死後その遺子二人と暮していたものであつて、原告の兄秀作方に出入するうち、原告と親しくなり、遅くも前示昭和二十三年五月十五日頃から原告と肉体的関係を生じ、現にその間に一人の男の子も生れ、原告の会社事務員としての收入と、八千代の教員の俸給とで生活しているものである。
右の事実を、証拠によつて認定することができ、これに反する証人窪田秀作、同依田国光及び被告本人の各供述部分は前掲その他の証人や本人の各供述と比べて見てたやすく信用することができない。而うして認定事実によつてこれを見るのに、原告と被告との婚姻は当初本人同士の希望というよりも、むしろ家の便宜を主としてとり結ばれたものであつて、すでにその点に無理があつた。その婚姻生活は約十年に亘るが、その間戰爭による五年の空白があり、両者の性格の不一致は融和の機なく、その不和はついに救うべからざる域に達している。現在その夫婦というのは單に戸籍上の名のみの関係であつて、將來再び眞実の夫婦としての精神的協同生活を営なむことについては、殆んどこれを期待することができないものと認めざるを得ない。もつともこのような現実の夫婦生活の破綻の責任を挙げて被告に負わしめることも不当であつて、証人窪田秀作、同依田国光、同深沢一作及び被告本人の各供述によれば、原告は被告と対蹠的にはでな性格であつて、酒色を好み、從來素行が修まらなくて、被告と婚姻当初これに性病を感染させたことのある事実も明らかであつて、前段に認定した依田八千代との関係のごとき、妻である被告に対する重大な義務不履行と言わなくてはならない。しかしながら原被告の夫婦関係の現状につき、被告に何等の責任がないということも亦失当である。右原告と依田八千代との関係は、被告の原告に対する態度と互に因となり果となつているのであつて、むしろ証拠によれば被告との家庭生活の索莫なことが原告をしてかゝる過失を犯さしめたものとも言い得べく、被告亦その一半の責任を分担すべきものと認められる。
以上の事実を綜合考察するに、右はまさに民法第七百七十條第一項第五号に婚姻を継続し難い重大な事由があるときというのに該当するから、これを理由として原被告の裁判上の離婚を求める原告の本訴請求を正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 入山実)